今回の参院選でも争点の一つとなりそうな年金問題ですが、一連の年金記録消失問題の究明が進めば進むほど、社会保険庁のずさんな管理や職員の怠慢な勤務ぶりが白日の下にさらされてきています。
ところが、この問題にずっと前から取り組んでいたのが、衛藤(えとう)さんだったことは案外知られていません。
福祉に長年携わってきた衛藤(えとう)さんは社会保険庁の問題体質にいち早く気づいており、平成16年(2004年)9月に厚生労働副大臣に就任するや否や社会保険庁の改革に着手しました。
革新系野党と結びついて「キータッチは1日5000まで」 「45分働いたら15分休憩」などという世間一般からは考えられもしない労使協約を結び、「雇用を脅かすオンライン化などの合理化」を団結して阻止 (世間一般に言えばサボタージュ)してきた社会保険庁の労働組合とそれにぶら下がる職員達、そしてことなかれ主義でそのひどい現状に手をつけようとしない歴代の幹部達、これらの実態を目のあたりにしてきた衛藤(えとう)さんは生半可な改革では効果が無いと考え、社会保険庁を解体して年金業務を全く別の組織に移すことを計画し、当時の小泉首相に提出しました。
かつて厚生労働大臣を務め、社会保険庁の労働組合などの実態を知っていた小泉首相は思わず「できるのか!?そんなことが!?」と言ったと言われます。
それに対して衛藤(えとう)さんははっきりと「できます!!やってみせます!!!」と答えたと言われています。
今回の国会になってから急遽整備されたという印象を与えている社会保険庁改革法案ですが、実は、そのグランドデザインは衛藤(えとう)さんによって描かれ、郵政民営化のうねりに飲み込まれてしまいましたが、社会保険庁の解体は小泉政権下の衛藤(えとう)厚生労働副大臣のもとで既に政治日程にのっていたのです。
そして、安部首相は、国民の大切な年金を護るため、郵政民営化を問う選挙で衛藤(えとう)さんとともに無念の涙を飲んだ社会保険庁改革案を自分の政権のうちに膿(うみ)を出し切って徹底的に実行しようとしているのです。
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